物心ついた頃から高校の時まで住んでいた高知市桜馬場。
隣に住んでいたころりん亭のマスター、勇君と一緒に、子供の頃遊んだ小高坂小学校の校区を思い出を語りながら歩いてみた。
共に貧乏家庭で育った二人。
いろんな想いが蘇って来たので、当時の事を生活環境も含め、語っていきたいと思います。
この付近で住んでいた方がこのブログを見つけて、当時を懐かしんでいただければ幸いです。
後編は大膳町~新屋敷~万々~城北町まで歩きます。
大膳町から万々の方に歩いて行きます。
新屋敷から小高坂小学校方面。
十田屋さんは駄菓子屋さん。
今日は定休日でしたが、まだ営業している事に感動です。
右折して南側に歩きます。
このあたりを歩いていて、リヤカーを引いたわらび餅屋さんを思い出しました。
レバーを回すとタオルで出来たベルトコンベアーからわらび餅が出てくるんです。
おそらく意味が分からないと思うので、興味がある方は私に直接聞いてください(笑)。
円行寺駅近くに移動します。
ここにはパチンコ屋(寿だったかな)、向こう側にピンボール(フリッパーって呼んでた)を置いてあるゲームセンターがありました。
高校生の時、母が長期入院となり、母子家庭だった自分は生活が困難に。
中退して仕事しようと思いましたが、親戚の叔父さんが「高校ばあ出ちょき」と言って授業料を払ってくれ、生活保護を受けて通学しました。
そんなある時、受給の日までの生活費が無くなり、一か八かでここのパチンコ屋へ。
命賭けての羽根物で見事勝利!。
今だから言えるけど、高校生から20代前半はしんどかった。
一番右におもちゃ屋のナルちゃんがありました。
右折して城北中学校の方に歩きます。
当時子供を相手にする商売がいろいろあって、土粘土を型に入れて色を付けて、作品をおじさんに見せると点数券がもらえる。
それを楽しみにこの公園に来ていたな。
点数を集めた頃におじさん来なくなった。
小高坂小学校の北側を東に進んで行くと。
宝町の方に歩いてみます。
宝町へ。
懐かしの看板が見えます。
母校まで帰って来ました。
他にも細い路地をウロウロしましたが、当時の面影が残っているところは懐かしくて感動でした。
いやあ、楽しかった。
また昭和を探して歩いてみたいと思います(^^♪。